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「嫌い」「面白くない」の考察

こんにちは。べんとうです。

 

暑過ぎん?やる気が0なんですが。

 

レポートを仕上げてやろうと思っていたのですが、ちょっとサボりつつ、クーラーガンガンにしてやる気が出るのを待ちます。

 

ここで言う、「やる気が出るのを待つ」は、「メンドクサイという感情が去る」まで待機ということですね。怒りの感情や不安の感情も大抵はピークを越えると単調減少です。そのままスーッと消えていきます。メンドクサイも消えるのですよ。

 

 

さて、前置きと関連しないわけではないのですが、「嫌い」「面白くない」という話をしていきます。

 

 

人間が何かを「嫌い」「面白くない」と思う理由は2つあると思います。

すっごい単純です。単純すぎて、別に新鮮でも何でもないです。なので、敢えて難しい言葉で言いますね。

(1) 課題が「安全領域」「学習領域」「危険領域」のうち、「危険領域」に属している。

(2) 馴化している。

*(1)は樺沢紫苑先生の「アウトプット大全」に書かれていた表現です。

 

(1)の危険領域についてですが、勉強が出来る人は勉強を好きになりますし、スポーツが出来る人はスポーツを好きになります。要は、出来ないものを人間は嫌います。当然です。

 

もうちょっと面白みを含んでお話しすると、そもそも人間には知的好奇心という感情がDNAに刻み込まれていて、新しい情報に対しては基本的にオープンにできています。

 

幼い人間は「なんでこうなるの?」「なんで?なぜ?」を繰り返します。

テレビの中に人が住んでいると本気で信じ込んでいた人も多いのではないでしょうか。

 

一昔前は、「報酬のあることしか人間は頑張らない」という行動主義が心理学を牛耳っていたように思いますが、別にそうではありません。

檻の中のサルに知恵の輪を渡したら、別に頼んでもないのに楽しそうに解き始めます。なんなら、どんどん練習してうまくなっていきます。(報酬は一切ないです)

 

例えば、小さい頃絵を描くのが好きな人がいたと思いますが、あれ、別に報酬ないですよね。勝手に楽しんでやってるだけですよね。

 

おそらく、人間は、報酬が無くても、「なにか報酬があるかもしれない」と無意識的に思っているのです。だからこそ、ちょっと難しめの課題を行うことに快感を覚えるようにシステマイズされているのです。その方が適応的でしょ。

 

動機づけ理論の中で有名なものとして、アンダーマイニング効果というものがありますが、簡単に言うと外発的動機づけ内発的動機づけを削除するというものです。

上で言った、サルの知恵の輪や、小さい子のお絵描きに対して、エサやお菓子を報酬として与えてしまうと、その子は「好きだからやる」という内発的動機づけの状態から「エサがもらえるからやる」という外発的動機づけの状態にシフトしてしまいます。

 

一見不思議な現象ですが、そもそも人間の知的好奇心や興味という感情が、この「なにか報酬があるかもしれない」という無意識の信念と繋がっているとすると、非常に筋は通ります。(あ、文献なんてないですよ。僕の勝手な机上の空論です。)

要は、アンダーマイニング効果は、その「なにか報酬があるかもしれない」の答えが見つかった瞬間、外発的動機づけの状態にシフトするのです。2個目の報酬は期待されないからです。

 

 

というので、まず人間は全ての事象を好きになるだけのポテンシャルがあると仮定します。

 

 

では、次に、その「好きになるはずの対象」をなぜ嫌いになってしまうのかについてですね。

 

理由は簡単で、出来ないからです。

もし、「なにか報酬があるかもしれな」かったとしても、出来ないようでは報酬は得られません。この無意識の信念は「もしかすると」「ワンチャン」といった確率の話ですが、そもそも課題が自分にとって遂行不可能なものだったとすると、ワンチャンでもなくなります。ノーチャンです。

 

だからやってる意味が無くなって、「嫌い」という適応的な感情が生まれるのです。

 

 

また、出来るけど嫌いになる場合もあります。

これは、飽きってやつですね。人は何かを長期間やり続ける飽きます

理由は簡単で、「いや、報酬貰えんやないかい」って無意識で感じるからです。

馴化と一緒です。

「楽しい~!」って感情を抱いていても仕方がないので、楽しく感じなくなるのです。

 

うつ病と似ているかもしれませんね。

世界の全てが上手くいかないと学習されると、「楽しい」という感情に意味が無くなるので、その感情を抱かなくなるわけです。

 

 

 

ということで、この解決策について2つほどお伝えします。

まず、本来の課題から目を背けるということです。

どういうことかというと、レポートであれば、内容をよくするという目標から目を背け、「引用文献を2つ準備する」「書式を奇麗にして、それっぽい作品に仕上げる」という下位目標だけを見つめます。

中学生の授業中であれば、苦手科目については色鉛筆を授業中に持ち込みます。蛍光ペンも5本ほど。そして、先生が黒板に書いた板書を頭を使わずにひたすら、デコレーションしていくのです。そうすれば、思わずその自分の作品(ノート)を何度も見返してしまうことでしょう。自ずと、重要事項は頭に入ります。そして、「きらい」という状況からも目を背けることが出来ます。

 

次に、やり方を変えてみる、ということです。

本を読むにしても、ただ読む方法と、飛ばし読みをする方法と、熟読する方法、ノートを取りながらslownessを意識して読む方法、前書きだけ読んで自分の考えをwordでブレインストーミングする方法、など...

効率を意識せず、多種多様なやり方を自分の引き出しの中に用意しておきます。

 

そうすれば、質はともかく勉強「量」は確保できるでしょう。

 

運動でも同じです。ランニングばかりでは疲れます。ジムに行ったり、自重トレーニングをしてみたり、飽きたら別のことをやってみるのも重要かもしれません(僕はやってないけどね←)

 

 

受験生においては、今この梅雨から夏にかけての時期勉強「量」を確保することが重要になってきます。やる気が絶妙に出てきませんからね。

なので、効率の良い勉強法を知っておくことと共に、それ以外のユニークな勉強法を自分で模索して、飽きないように勉強していくことが、大学進学後も勉強を継続するためのヒントになると思います。

 

おそらく、10月から1月にかけては嫌でも勉強します。量に問題がないときは、質重視の勉強をしていきましょう。

逆に共通テストが終わると、だらけます。その時は、質には問題がないはずなので、両重視の勉強をしていくことが重要です。